ふれあいサロン〜終活をかんがえよう〜

東京司法書士会三多摩支会のみなさまにお越しいただき、エンディングノートや遺言の書き方など勉強会と対話形式の質問コーナー(地域の方男性陣はビール片手に)にて行いました。

私自身の祖父との死別体験、また、以前参加したiACPアドバンスケアプランニングについて勉強してから、今回の終活は個人的にも興味があるのと70歳を越えた皆さんはどう考えているのか話しがしたい聴きたい!(私もビール飲みたかった!)ということで参加。

ちなみにiACP参加ブログがこちら
https://kashokai.com/blog/archives/12242

ふれあいサロン〜終活をかんがえよう〜

もしもの時の話し「もしバナ」が当たり前に話せるように。
でしたね。

エンディングノートや遺言の説明や書き方など事例を通し、わかりやすく説明していただきました。

そして司法書士の方まじえてのフリー質問コーナーで、参加者の方といろいろな話をしました。

いつも会うご近所さん達ですし、ご利用者よりも実際の話しをざっくばらんに話していただけます。
会話の流れで、自分の身に何か起こった時の話されていました。

会話していたのがMさん(71歳男性)。もし何かあった時について
「病気で意思疎通ができなくなり、回復の見込みがないと医師から言われた時の延命処置はどうするか」
という質問には、「もう何もわかんないし、もうこの歳で先も長くない。それなら費用もかかるし、そのまま逝きたいね」「ピンピンコロリだよね」
という意見でした。

介護についても「自分で下のことができなくなったら終わりだね」と介護を誰かにされることも望んでいない。

私個人もそういう意見。

そういう意見があり、口にはしている。すごくわかります!現段階では。
特に私は元気ですし、年齢的も親に対して思うことはあっても自分自身には置き換えて考えるにしても現実味があまりない。

けれど、口では「何かあったら延命処置をせずに尊厳死を」と言っていても、本心では違ったり、また本心で思っていたとしても病気も急性でなく徐々に悪化していく病気だったり、いざという局面では延命処置を望む本人、家族がいるんですよね。

私が祖父に対してそうでした。

亡くなる2日前まではピンピン畑仕事をやっていた祖父。「人様に迷惑をかけるようなことはするな」という口癖で、誰にも頼らない強くも明るく、優しい人でした。

そんな祖父が脳出血で倒れ、自分で意思表示ができない状況になり、医師からも「延命処置をおこなうことはできますが、成功しても意識が戻らない可能性が非常に高い」そんな感じの説明をうけました。

祖父も元気で75歳くらいでしたから、誰もがその「まさか」を受け入れらません。
祖父の人柄、性格、それまでの発言からしても身近にいた親族は「本人なら延命を望まないだろう」とわかってはいましたが、なんとしても、どんな状態でも生きてくれていれば。という自分自身が救われたい。まだ祖父の死からは逃れたい。
という想いが出てきました。

それと同じで、本人も実は、しっかり意思表示できる時には「何かあったら延命処置はしないでな」と言っていても、それを言った日から気持ちも変化するだろうし、病状の進行を感じたりすれば意思は変わるだろうと思います。

だからこのエンディングノートや遺言というものは随時更新して、尊厳死についてもしっかり話したほうがいい。

やっぱり何の判断材料もなく決断する家族も辛いです。

もしもの時の話しを家族とする必要がありますし、ふれあいサロンみたいに70歳を越えた方々が集まる場で皆で考えて、意見交換をすることは非常に大切なことだと思いました。

君たちはどう生きるか。という本がありますが、私達の人生にとって今生きているこの時間が残された人生で一番若い自分であり、絶対に避けて通れないのが死です。

残りの人生、どうやって生きるか。

これまでの自分を振り返り、そして自分は何が生きがいで何が喜びで、何をもって幸せというのか。自分らしさを内省し、できればアウトプットする必要があると思いました。

ふれあいサロン〜終活をかんがえよう〜

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彌 一勲

特別養護老人ホーム、訪問介護にて施設・在宅ケアに関わってきました。 ご縁があって出会った“人”の人生、生活に向き合い、専門職として関わることを大切にしています。介護が必要になってあきらめかけた自分らしい生活を介護士が黒子(きっかけ)となって叶う瞬間、ワクワクしている表情を見られる時にやりがいを感じます。 認知症になっても住み続けられるまちづくりを医療介護従事者、地域住民の方々と一緒に考え、行っています。