iACP もしバナのワークショップ

もしバナのある世界へ

「もしものための話し合い」の略で〝もしバナ”

ACP(Advance Care Planning)
アドバンスケアプランニングを
ご存知ですか?

私は『終活』は知っていましたが、今回のワークショップに行くまで知りませんでした。

アドバンスケアプランニングとは、

病をきっかけにして、みんなで今後の治療や療養について、あらかじめ話し合うこと。これをACP(Advance Care Planning)と呼んでいます。

ACPは、治療の選択だけでなく、一人ひとりにとっての気がかりや大切にしたいこと、そしていつか訪れる人生の最期をどう過ごすか、という幅広い内容を含む話し合いのプロセスです。

ACPは「患者さんやご家族が様々な苦難に対処し、それを乗り越えるための支援」そのものです。
iACP https://www.i-acp.org/ より引用しています。

というものです。

もしバナのある世界へ、は必ず訪れる『死』。自分が人生の最期にどう生きたいのか。どうしたいのかをを当たり前に話せるようにしようよ。という働きかけになります。

終活もこのACPもですが、我々介護の世界、医療の世界もだと思うのですが死についての話題はタブーとされてきました。

そうですよね、その対象の方の支援や治療をおこないより長く健やかに生きていてほしいので、死について色々話しましょうよ
となかなか難しい。

しかし、今回のワークショップに参加して改めて思ったのは、むしろ元気なうちに、早い時期に死について話しておいた方がいいんじゃないかということ。

自分個人としては、家族に対し絶対に訪れる死について「もしも」の時に備えて死生観や想い、意思をしっかり伝えておかなければと思いました。

健康でまだまだ死ぬ気はないけれど「もしも」っていうことがあります。
交通事故にあってしまって、自分の意思を伝えられない状況になるかもしれない。

意識が戻ったり、会話ができるようになる見込みがなくても延命治療を続けて生き延びることも1つ、妻、子供が小さいので経済的に負担もかけたくないという気持ちもある。

意思表示ができなくなった自分に対し、妻と子供に自分のその後について決断させるは辛い。

同じような状況で自分が祖父で選択に迫られて、親族で話し合い、結果延命治療を止め、息を引き取りました。

この時思ったのは生きていてくれたら、ひょっとして奇跡的に意識が戻ることがあったかもしれない。

という考えと

祖父が元気な時にもしバナをしていたら「逝くときは逝く」と潔く答えるような気もしました。そういう人だったから、

という想像。

祖父も突然の脳出血で倒れたので、私含め親族はパニックでした。
なのでまだまだ元気!なうちからもしバナをする重要性を非常に感じました。

そして、不可逆性で進行していく病気の最期の決断をする時でも、しっかり話し合ってリスクや考えられることを把握し、パニックや混乱が多少抑えられるし、「あれをやっておけばよかった」なども極力少くなると考えます。

iACP もしバナタブー視されてきた事だけれど、これは尊厳を守る為にも必要なことだと思います。

ワークショップでは1つの事例を元に家族、本人の気持ちを想像してまとめて意見交換をしました。
医療・介護従事者で色々な立場の方が参加されていたので、多種多様な意見と視野がポストイットに書き込まれ可視化されていきました。

個人でACPについて考え、そして皆さんの引き出しが空いたところを肌で感じ、非常に勉強になりました。

フェーズⅡが5月17日。こちらも参加させていただきます。
個人の学びとしてもACPについてより深く理解し、もしバナを文字で見える化させてみようかなと思いました。

iACP
「もしバナ」病気になる前のもしものための話し合いを多く持ってもらうこと、それが私たちiACPの役割です。

フェーズⅡが5月17日

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彌 一勲

特別養護老人ホーム、訪問介護にて施設・在宅ケアに関わってきました。 ご縁があって出会った“人”の人生、生活に向き合い、専門職として関わることを大切にしています。介護が必要になってあきらめかけた自分らしい生活を介護士が黒子(きっかけ)となって叶う瞬間、ワクワクしている表情を見られる時にやりがいを感じます。 認知症になっても住み続けられるまちづくりを医療介護従事者、地域住民の方々と一緒に考え、行っています。