「町田さんま歩き愛です(あるきめです)実行委員会での話し」

先日、第二回町田さんま歩き愛です(あるきめです)の実行委員会の様子をブログやfacebookに載せました。

歩き愛ですの生みの親、GS世代研究会座長の西村晃様にも来ていただき、地元の方とキッチンスタディでのミーティング&会食。

様子は先日あげた所ではあります。

その時、地域の皆様と小山田の歴史について話していました。
歩き愛ですの本番で出すクイズにならなかった、おもしろい小山田にあった風習です。

どんど焼き(団子焼き)というものを皆様ご存知でしょうか?今はあまり聞かなくなっている言葉ですが、私は実家の近くの田んぼで昔やった事があります。

1月中旬頃、竹とか、正月のお飾りや書き初めをもちよって火をつけます。そしてその火に三つ又の枝の先端に突き刺した丸い団子を焼き食べる事で、無病息災、つまり健康で一年間過ごせるよというものです。

団子があまり美味しくないけれど、大きな火の下に学校の友達と会って騒ぐのが楽しかった記憶があります。

そのどんど焼き、私は火がついていて、団子もつくってもらい焼くだけしかしてこなかったのですが、昔はもうひと工夫あったようなんです。

「隣近所もわからず挨拶をしない」という人が増えて孤独死が問題になっています。具体的な解決策も打ち出せずに、見守り活動というテーマで嘉祥会も含め各々試みるも費用がかかったり継続性に欠けたりするのが課題だなと思っています。

そんな現代の課題が嘘のような、地元のコミュニティが活発だったのだと思ったのが「どんど焼き」の仕組みです。

昔、(お話いただいた皆様の年を察すると50年〜60年前)の小山田で行われていたどんど焼きですが、燃やすお飾りと書初めを子どもたちがきゃりーをひいて近所の家を回ってあつめていたようなんです。

その集めるのが子供の仕事で、行く家先でお菓子をもらっていてそれが楽しみで近所のみんなで回ったとお話されていました。

これを聞いて、あれを思い出しました。世間的にシーズンの、ハロウィンです。ハロウィンはもともと収穫祭とかなんとかで家に回って「トリックオアトリート」と言ってお菓子をもらうイベントのように私は覚えています。
日本のガラパゴス化したスクランブル交差点でハイタッチするゾンビやスパイダーマンはそれはそれで大きなマーケットなので良しとして(笑)

話しを戻して、その海外のハロウィンになんとなく似ていると思いませんか?回る趣旨は違えど、なんか地域のコミュニティとして、地域の大人みんなで子供を育てる観点からしても、顔なじみが増える点に関してもハロウィンのようです。

きっと昔ですから、回る家々の中には気難しい雷おじさんもいた事でしょう。でも、なんかそれを子供達みんなで回ってお菓子をもらって、団子を焼いて食べるという日本版ハロウィンが昔「どんど焼き」という文化であった。

これを知った時に時代の移ろいと、人と人とのハード的にもそして心と心の壁がいつしかできあがった事に切ない気持ちになりました。

どんど焼き以外にも、秋は秋であったみたいです。昔は子供も稲刈りとかも含め家族のお手伝いをする事が多かった。となりのトトロでさつきちゃんが「今日は田植え休みなの」と言っていたシーンを思い出しました。

いつから私も含め家の事を手伝わなくなったんでしょうか。

歴史と文化を知るっておもしろいです。

歩き愛ですでも町田にまつわるクイズを設けています。全部で7箇所か8箇所のクイズポイントを用意しています。全部回れたら小山田についての理解も深まります。全部回れるかは、結構頑張りも必要ですのでこうやってブログでお知らせしていけたらと思います。

http://www.kashokai.com/userdata/arukimedesu201611061.pdf

「町田さんま歩き愛です(あるきめです)実行委員会での話し」

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彌 一勲

特別養護老人ホーム、訪問介護にて施設・在宅ケアに関わってきました。 ご縁があって出会った“人”の人生、生活に向き合い、専門職として関わることを大切にしています。介護が必要になってあきらめかけた自分らしい生活を介護士が黒子(きっかけ)となって叶う瞬間、ワクワクしている表情を見られる時にやりがいを感じます。 認知症になっても住み続けられるまちづくりを医療介護従事者、地域住民の方々と一緒に考え、行っています。